プーチンに核抑止の理論はもう通じないと思うのだが

先日、ウクライナ侵攻中であるロシアのプーチン大統領が核抑止部隊に特別警戒命令とかいうのを出したとかニュースがあった。

簡単に言えば「いつでも核兵器使えるようにしておくぜ」みたいな命令である。

 

このニュースを聞いた安倍元首相の「日本にも核武装(核共有)の議論を」という核抑止を意図する発言がちょっとだけトレンド入りしてた。現首相の岸田総理は核の議論は認められないということで安倍ちゃんの発言内容を拒絶していたが。

 

私個人としては、まだ核共有の議論はしなくてもギリギリ良いと思いつつ、しかし現状見るとその必要性が出てくるのも時間の問題に思っている。

 

ただそれ以上に一つの不安があり、日本の核武装議論よりもすごく心配していることがある。

 

「もうプーチンに核抑止の理論は通じないのではないか?」

 

その可能性が最も高いと私は考えている。

核抑止の理論が通じないのはつまり「核武装をしてもなんの威嚇にもならず、攻撃される」という意味だ。

 

今回は私の分野からは大きく外れるが、私がこう考える経緯を核抑止の基本理論、そしてプーチンの精神状態の想像から記述していきたい。

今回は早くに公開したかったので、内容がかなり雑でもひとまず投稿することにした。

時間があるときに内容をわかりやすく随時修正していくつもりである。

 

目次

 

核抑止ってなんぞ?

私と同年代の人はメタルギアソリッドとかのゲームで核抑止のことをよく知っていると思う。

ただ核抑止を知らない人も多いと思うので、私のゲーム知識からで申し訳ないが、核抑止の基本理論の説明から入っていきたい。

 

核抑止は「お互いに核兵器保有することで自分も敵も核への恐怖で縛り付けて武力衝突を回避する」という考え方だ。

文で見るとなんのこっちゃと思うかもしれないが、実はものすごく単純な理論である。

 

分かりやすく例え話をしてみよう、今、自分は拳銃を持っている。その拳銃はとてつもない破壊力を待っていて、体のどこにでも一発でも当たれば全身を粉々に吹き飛ばす威力がある最強の拳銃だとしよう。

最強の拳銃を持っている自分は無敵だ。誰も自分には逆らえない。少しでも気に入らないことがあれば最強の拳銃で脅せばみんな命欲しさに従うからだ。

だが、自分が嫌いな人物、自分にとって敵となるような人物がいて、そいつも同じ最強の拳銃を持っているとしたらどうだろうか?

自分はそいつに向かって最強の拳銃を撃つ勇気はあるだろうか?

自分が拳銃を撃ったら相手も撃ってくるだろう。相手の全身を粉々に吹き飛ばして殺すことが出来るが、同時に自分の身体も粉々に吹き飛ばされて殺されることになる可能性が高い。

だがそれは相手にとっても同じことだ。相手も拳銃を撃てば自分が撃たれかねないと考える。

そうなると、そう簡単に最強の拳銃を使うことができなくなり、「ムカつくけど、死にたくないからなんとか話し合いで決めようぜ」となるのである。

 

どうだろう、両者とも最強の武器を持っているが、結果としてそれは使えず、話し合いの場を設けるきっかけ作りになっている。

 

これが核抑止の考え方だ。

例え話の中で最強の拳銃の役割を果たすのが核兵器である。

こっちが核兵器を使ったら相手も使うかもしれない「やったらやり返される」関係を作って恐怖で無闇に攻撃できない「強制的な平和関係」を維持するのが核抑止の基本理論だ。

 

核抑止には核保有が必要

さて、先の説明を聞けば分かると思うが、核抑止を確立するには「自分も相手も核兵器保有する」必要がある。

 

相手だけが核を保有しては当然自分が脅される一方で意味がないし、逆に自分だけが核を保有しても相手国に威圧を与えてしまうだけだろう。

 

現在ロシアは大量の核兵器を持っているが、日本は持っていないため、日本とロシアの間に核抑止は成り立っていない。

 

だが日本は同盟国であるアメリカとの日米安全保障条約に基づいた「核の傘」に加わることで核抑止のような状態を作っている。

 

核の傘」とは、もし仮に日本が核攻撃を受けた場合、同盟国のアメリカが「日本のために、核攻撃してきた相手に核攻撃をやります」という約束事である。

仮にロシアが日本に核攻撃をしたら、日本の代わりにアメリカがロシアに仕返しの核攻撃をしてくれるというわけだ。

これによりアメリカを介して「やったらやり返される」状態を作って核抑止と似た状態を成り立たせている。

 

核抑止と"似た"状態と表現したが、それには理由がある。

それは「もしもロシアが日本に核を撃ったとして、アメリカは本当にロシアに仕返しの核を撃ってくれるのだろうか?」という疑念が捨てきれないからだ。

アメリカが日本のために核を撃ったら、間違いなくロシアはさらにその仕返しにアメリカに核を撃ち込むだろうというのは想像に固くない。

 

日本のために、アメリカが被爆するリスクを冒してまでロシアに核を撃ってくれるのか?そんなリスクを冒すメリットは当然アメリカ側にはない。

 

自分から核を撃っても仕返しの核を撃たれる可能性が低いのならば、核抑止の関係にはならないであろう。だから核抑止に似た状態と表現した。

 

安倍ちゃんの「日本も核武装の必要」というのは「日本も仕返しを必ずしてくる」という危機感をロシア側に持たせるために必要という意味である。

決して核戦争がしたくて言ってるわけではない。

 

ただ、現状は核武装せず、前述した核の傘で十分だと岸田総理は判断したようで、日本の核武装議論はされない方向になった。

個人的には妥当なところだと思う。

 

核抑止が人気な理由

まったくの机上の空論ではあるが、この理論が妥当性を持つようになったのには歴史がある。

 

最近のウクライナ侵攻でもたびたびニュースで取り上げられるようになった、1962年の「キューバ危機」だ。

 

キューバ危機とは何か、語弊を恐れずざっくり言ってしまえば

 

  1. アメリカのすぐ近くにキューバという国がある
  2. キューバはロシア(ソ連)と仲が良くなった
  3. ロシアはキューバに核ミサイル基地を作り、アメリカにいつでも核が撃てるようにしていった(キューバの軍事支援の名目上ではある)
  4. これに異を唱えたアメリカとロシアが互いに核兵器をチラつかせながら牽制しあい、いつ核兵器が世界中に放たれてもおかしくない事態に突入した
  5. しかしアメリカもロシアも互いの核兵器によって人類が滅亡するのを恐れ、ギリギリ核戦争が起きる前に話し合いで解決することができた

 

といったものだ。

 

もうあと少しで全世界核戦争に突入しそうになったが、皮肉にもその核兵器に対する恐怖のおかげで核戦争を回避できたという出来事である。

 

このキューバ危機があったことで、核抑止は一定の効果がありそうだと世界的には認識されていくことになる。

もちろん考えるべき点は複数あるが、少なくとも歴史的事実が核抑止の有効性をある程度証明してくれているとは言えるだろう。

 

核抑止が通じないケース

「やったらやり返される」という状態を作ることで武力衝突を回避する核抑止の理論。

 

保有国を相手に自らも核を保有することでどんな場合でも有効になる印象を受ける。

だが、核抑止には「通用しない場合」も考え得る。

 

「やったらやり返される」「今ここで撃てば自分の国も滅ぶ」このようなリスクを踏まえ、核を撃つか撃たないかの判断には冷静に物事を分析し合理的に考える思考力、判断力が必要になる。

 

このような論理力がない指導者の場合はどうなるか?

例えば核の恐ろしさを正しく理解していなかったり、いわゆる「無敵の人」のような「自分の身を滅ぼしてでも社会に打撃を与えたい」と考えるような場合である。

 

前者の場合、核兵器に対して恐怖を感じず、自国の使用も他国が使用することに関しても問題意識を持てずに核抑止関係が崩される「最初の核一発目」を撃ちかねない。

また、後者も自分が滅ぶ覚悟で核を放つのだから、いくら相手が「核をやったらやり返すぞ」と言ったところで聞く耳を持つわけがない。

 

そう、核抑止はやったらやられることを理解する正常な思考力が無ければ途端に成り立たなくなってしまうのだ。

 

プーチンは正常な思考力をもはや持ってないのでは?

長々と説明をしてきたが、私がプーチンに核抑止は通じないと思う理由はなにか。

 

それは前述した核抑止に必要な正常な思考力をプーチンは完全に失っているように思えるからだ。

 

実際プーチンと交流が深いアメリカ、フランスの人達が「今のプーチンは以前のプーチンと別人のようだ」「プーチンの精神状態が懸念される」といった発言をしたことがニュースにもなっていた。

 

というよりもわざわざ親交のある人の発言を引用しなくても、思考に異常をきたしてることは容易に想像することができる。

 

冒頭にも述べたようにプーチンは核抑止部隊に核攻撃をいつでもできるよう指示をした。

この理由は日本を含む欧米諸国が行った経済制裁に対抗して行われたことがプーチンの発言から明らかにされている。

 

あまりにも変ではないだろうか?

キューバ危機の時のアメリカのように

「自分に核が撃たれそうだからこちらも核を撃てるようにする」

というのなら核抑止の道理は通っている。

 

また当時のロシア(ソ連)についても

「敵国全域に対して核を撃てるようにする」

という軍事的な合理性の理由があり、道徳はともかくとして思考回路には納得ができる。

 

だが今回のプーチンの言い分は

経済制裁が不当だから核を撃てるようにする

という内容だ。

 

経済制裁されたから

核を撃てるようにする

前後の文に関係性が全くないのである。

 

経済制裁は商業取引上での制裁であり、核兵器で取引場を破壊し尽くしたとしても意味は全くない。

それどころか周りが核兵器を使う意図など全くない状態なのに核を撃てるようにするということは核の先制攻撃の準備を率先して行なっていることになる。

つまり相手が仕返し核を撃つような理由をわざわざ作りだしているようなものだ。

経済制裁核兵器使用が同じ議論の場に現れることがどれほど奇妙なことか分かるだろう。

 

経済制裁をやるなら核を撃つ」とは

「今日は天気がいいから人を殺す」と言うようなのと同じくらい前後の文脈がめちゃくちゃなのである。

 

前後の文脈が合わないということは、正常な思考力を持っていない証明としては充分だと思う。

 

正常な思考力がない、簡単に言えば頭がボケてしまってる人が核の脅威を理解することは無理だろう。それどころかあらゆる情報を正しく理解することすらも不可能と言わざるを得ない。

 

するとさっき言ったように核に対する正常な恐怖心を持たなくなり、仕返しされるのを考えないで核攻撃をしてしまう可能性が非常に高い。

頭がボケた人に核抑止は有効性を持たないのである。

 

核武装の議論も重要だがもっと重要なこと

それでもまだプーチンに理性が残っていることに望みをかけて、日本が核武装をする必要があるかどうか、これを議論する必要は大いにあると思う。

 

ただそれよりももっとやばすぎることを考えた方がいい。

プーチンが正常な精神状態でなくなってしまっている、あるいは完全にボケてしまっており、勢いと妄想で核攻撃のボタンを押されたら?その後はどうすればいいか?

の議論が早急に必要だと思う。

 

具体的にはPAC3などの核ミサイル迎撃システムがどれだけ有効なのか?

そして日本に核が被弾した場合の国民の動きをどうさせるか?

今こそ被爆した時のマニュアルをもう一度日本国民に配布すべきではないだろうか。

プーチンの核攻撃の対象は経済制裁をした欧米諸国、つまり日本も含まれていても何らは不思議ではない。それどころか完全に頭がボケてしまっているなら後先考えず欧米諸国全部を一斉に核攻撃するなんて展開も考えられるだろう。

 

そしてその場合おそらく来るであろうロシア側の勢力とどう向き合うのか?

 

もはや実際に核攻撃を受けた場合どうするのかを具体的に議論しなくてはならない段階にきていると思われる。

 

我々日本国民もウクライナ侵攻を対岸の火事と思うことなく、自分の国に影響が及んだ場合の行動を今考えておく必要がある。

 

プーチンが前後の文脈が合わないほどの虚言を発言してしまうほど精神に異常をきたしてる可能性が高い今、見境なく核攻撃がなされ、それに日本が巻き込まれる可能性は非常に高いだろう。

 

核抑止は人間の理性を頼りに根付いている理論だ。その有効性もある程度はあるだろう。

 

だが、戦争というものは理性的でない理由で起こされるもの、理性的でない行動が多くあることも歴史的事実である。

あまり考えたくないことだが、理性が外れて核抑止を破られ、日本が攻撃された場合を想定する必要が大いにあると私は思っている。